本页也有中文版本: 上海旅游指南
上海(上海方言 Zånhae、北京官話でShànghǎi )は金融とファッションの都であり中国で最もひらけた都市の一つで、世界でも人口密度のもっとも高い重要な都市に数えられます。都市を比較するなら物差しは複数あり、ウィキペディア式に国際連合の公的統計をあてると東京、インドの首都直轄領デリーに次ぐ世界第3位です。いずれの基準を使っても必ず世界トップ10に入り、中国最大もしくは重慶に次ぐ第2位です。

蘇州河の河口。 左に外灘、右に虹口、背景に閘北 (写真: Jiaqian AirplaneFan, CC BY 3.0)
上海は中国の4つの省・地域(省級行政区分=英語版)の一つ。行政管轄上は 直轄市(市)に分類され、どの省にも属さず、報告先は北京にある中央政府です。この記事は、上海全体をまとめます。観光の見どころが集中しホテルやレストラン、夜の街がそろう都心部の解説は、以下の都心部(英語版)、浦東(英語版)を参照してください。
上海は黄浦江(Huángpǔ Jiāng・Huangpu River)の両岸に分かれ、西岸を浦西(Puxi・Pǔxī)、東岸を浦東(浦东・Pudong・Pǔdōng)といいます。またその郊外など、川のどちらにあるか示すために添えて使います。あるいは時代の対比をも示し、浦西が古く(19世紀以降、Downtownの節を参照)、その正面にある高層ビルの多い地域は新しく開発された浦東です(1990年以降、Pudongの節を参照)。
呉淞江 (ごしょうこう、ウーソンチヤン、Suzhou Creek、Wusong River)。 営業時間:24時間。 小川というよりもむしろ小規模な河川で、外灘の北端から黄浦区に流れ込む支流。源流は呉淞江 (英語版) 付近、太湖 (英語版) の水を受け上海市内を流れながら、南は黄浦区(Huangpu)と静安区(Jing'an)、北は虹口区(Hongkou)と閘北区(Zhabei)の区境でもある。
都心部では川に沿って北淞江街(Beisuzhou)と南淞江街(Nansuzhou)がある。「北」と「南」の中国語発音はそれぞれ「ベイ」、「ナン」。
この自治体は面積6341 km2(2448平方マイル)、2500万人超の人口はほぼオーストラリアと同数で、住民がここより多い行政単位はアメリカなら2州のみ、EU加盟国なら6ヵ国のみです。上海のコンテナ港は世界で最も取扱量が多く、GDPは世界の多くの国より上です。上海を中心とする中国東部(East China)は、全域で工業化を高度に進めて繁栄しており、元から人口密度が高いところに、経済水準が低めの国内各地から集まる労働移民も多く、今も成長は止まりません。
地域
上海市を構成する行政区分は16区あり、人口はそれぞれ100万人の単位で数えられ、ウィキボヤージュではほとんどの区ごとに記事が立つほどです。以下、旅行者目線で地区分けを試みました。
都心部
上海の歴史的な心臓部は浦西(Puxi)、上海都心部(上海市区・市中心)と呼ばれ、古来からの都市部、1840年代以降に開発された外国人居留地、1930年代までの近代の開発地をまとめて指します。観光名所のほとんど、多くのホテルがここにあり、地下鉄の複数路線が運行します。
一帯は主に4つに分かれます。

上海都心部の地図 (写真: User:Peterfitzgerald, CC BY-SA 4.0)
よく考えると、都心部とか下町と呼ばれるのはどの範囲か、きっちり線引きされているわけではありません。地図に示した上記4地区はもちろん都心部にあるものの、人によって浦東新区(New Area)も、さらに以下の都心周縁部(inner suburbs)つまりおおまかに外環道路の内側は都心であると見なす人もいます。
浦東

陸家嘴(Lujiazui)の眺め(外灘側から) (写真: PierreSelim, CC BY 3.0)
ウィキボヤージュで浦東 (英語版) というページにまとめた地域は、実は上海の行政上は「浦東新区」(Pudong New Area)と呼ばれる広大な行政区の中心部に過ぎません。開発が遅れている「南匯」(Nanhui)は同じ行政区分ですが、ウィキボヤージュでは南接する郊外として別の記事を設けてあります。
郊外
これら郊外地域は、上海都心部の南から西、北西方向を取り囲んでいます。大部分は2017年時点に地下鉄で結ばれ、バス路線も多数あります。地下鉄はさらに多くの路線が2020年までに完成予定です。
郊外には農地も残るものの、現在、都市のスプロール現象(拡大への拡大)は容赦なく進み、ほとんどは住宅地や工業地帯に開発され、伝統的な建築物も保存されています。
海岸に近い東部と南部でも奉賢や金山、南匯はビーチがあり、夏の観光地として上海市民に人気があります。

区分図 (写真: Peter Fitzgerald , OpenStreetMap, CC BY-SA 2.0)

楓渓鎮 (写真: Camphora, Public domain)
知る
上海は東洋と西洋が魅力的に融合した街です。立ち並ぶ歴史的な「石庫門」建築(石库门=shikumen)は、中国の民家様式とヨーロッパのデザインセンスが融合し、加えて世界有数のアールデコ (英語版) 建築群を誇ります。19世紀後半から20世紀初頭にわたり西洋列強の支配した租界(指定地区)が存在したため、多くの地区に西洋様式の建物がいくつも残っています。
上海の街並みと建物は歴史が形づくり、外灘(バンド=the Bund)には今もイギリス風、かつてのフランス租界(French Concession)にはフランス風の建物が残ります。現在の人民公園(英語版)は、かつてのイギリス領の端にあった競馬場の跡で、地下に主要な乗り換え駅があります。その他、城壁都市(Chinese walled city)の門2件にちなんで名付けた老西門駅と小南門駅(Lao Xi Men と Xiao Nan Men)のほか、かつてアメリカ領だった反対端にも地下鉄駅があります。
中国の基準からすれば、上海が国際都市であることに間違いはないものの、多様性ではヨーロッパやアメリカの多くの都市ほど富んでいません。人口は国勢調査(2010年時点)で2300万人とされ、そのうち市民ではない人口は900万人(約40%)と、中国国内から仕事探しや、上海に多い教育機関に通学するために来た人々が占めます。
相当数の外国人住民も上海に暮らし、20万8300人(2010年時点)という数値は中国全国の外国人人口59万4000人の3分の1をわずかに上回ります。こうした移民の需要に応じるサービスもあり — 中国各地の郷土料理を食べさせるレストラン(特に安くておいしい四川料理や中国西部の麺類)、外国人向けのさまざまな食料品店や食事どころ、バーも立ち並びます。
近代には難民の集団が、世界各地から上海にたどり着いたこともありました。白系ロシア人がロシア革命(1917年)から逃れてきて、1920年代のフランス租界(French Concession)ではフランス人よりもロシア人の比率が高かったといいます(もちろん両者の合計は中国人よりも少なかったのですが)。虹口(Hongkou)には既に多くのユダヤ人が住んでいて、難民流入のもう一つのピークが1930年代に訪れると、ドイツから逃れてきたユダヤ人が定住しました。
日本との関係では、韓国併合(1910年)、満州占領(Manchuria 1931年)のときに上海は両地域から難民を受け入れました。
地元の書店と上海市政府のウェブサイトで上海百科事典『Encyclopedia of Shanghai』(英語版)を入手できます。統計情報、各開発プロジェクトの担当者の写真、財務・工学の詳細を記したプロジェクト概要など、内容の多くはやや無味乾燥でも — 非常に役立つ情報も得られます。例えば市内の博物館や公園はすべて、詳細な説明を載せています。
歴史は上海の街並みを形作ってきた大きな要素です。外灘(バンド)には今でもイギリス風の建物が、かつてのフランス租界(フランス租界)にはフランス風の建物が今も残っています。かつてイギリス人居住区の端にあった競馬場は現在、黄浦区の人民公園(英語版)となっており、その下には主要な地下鉄乗り換え駅があります。その他の地下鉄駅には、かつてアメリカ人居住区だった場所の端にある鉄道駅、老西門(旧西門)、小南門(小南門)があります。これらはそれぞれ、旧中国城塞都市の2つの門にちなんで名付けられました。
上海は中国の基準からすれば間違いなく国際都市ですが、多くの西洋都市ほど多様性に富んでいません。2010年の国勢調査時点の人口は2300万人で、そのうち900万人(約40%)は移民であり、仕事を求めて、または上海の多くの教育機関に通うために中国各地からやって来た人々です。
上海には相当数の外国人が居住しており、2010年時点で外国籍の住民20万8300人が暮らしています。これは、全国の外国籍総人口59万4000人の3分の1をわずかに上回る値です。こうした移民向けのサービスも存在し、中国各地の郷土料理を提供するレストラン(特に、安くて美味しい四川料理や中国西部の麺類)や、外国人向けの食料品店、レストランやバーなど、多種多様な店が軒を連ねています。
世界各地から難民の波が上海に到着することもあります。近代以降でも1917年の革命から白系ロシア人が逃れてきて、1920年代のフランス租界にはフランス人よりもロシア人住民が多く暮らしました(もちろん中国人市民はロシア人とフランス人の合計を上回っていました)。もう1つの集団は1930年代にドイツから逃れてきたユダヤ人です。主に、すでに多くのユダヤ人が暮らす虹口に定住しました。日本が1910年に韓国を、1931年に満洲国(Manchuria)を占領すると、上海は両地域からの難民を受け入れました。
英語版の『上海百科事典』があり、地元の書店や市政府のウェブサイトで入手できます。内容の多くは統計や各開発プロジェクト、担当職員の写真、財務や工学に関する詳細な説明などやや退屈ですが、非常に役立つ情報もいくつかあります。例えば、市内のすべての博物館や公園の詳細情報を掲げています。
経済
上海は、中国の地理上の中心に近く戦略的な立地にあり、長江河口の肥沃なデルタ地帯の交易都市として1000年にわたり栄えました。1840年代以降は中国全土の主要な貿易拠点の一つになって、現在は物流と交通の主要拠点でもあります。
コンテナ港の取扱量は世界最多、さらに港湾施設の新たな開発(port facilities)も進みます。空路は浦東空港(Pudong Airport)という世界的なハブ空港をかまえ、中国国内の空港ランキングでは、取扱量で北京と広州(Beijing、Guangzhou)に次ぐ第3位、同第4位は、上海第2の虹橋空港が入っています。上海は陸上交通でも、道路網と鉄道網の両面でよく整備されています。
この地域は中国の主要な工業中心地の一つでもあり、市政府は複数の工業団地を設立して発展をさらに促そうとしています。GDPは6700億ドル(2023年)でアメリカや中国平均を下回り、日本とドイツとカリフォルニア州とほぼ同額、その他の国はどこも上海より下回ります。
中国語のことわざには「上海は金持ちにとって天国、貧乏人にとって地獄」というものがあるように、人々は中国全土から上海に集まり — 農民は肉体労働の仕事を、大学卒業生は社会人としてキャリアのスタートを、あるいはクールで活気のある街暮らしに憧れる人々までいます。
人口900万人中の230万人つまり40%前後は、中国国内からの移民が占めます。不動産価格はここ数年で急騰し、特に都心部では家賃が跳ね上がって世界でも指折りの高値に達し、富裕層でさえ住宅購入が難しいといいます。
そもそも中国東部は人口が多く、高度に発展する繁栄の地であり、今も成長は止まりません。上海はこの地域の中心として重要な役割を果たします。
歴史
| 気候 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 最高気温 (°C) | 8 | 9 | 13 | 19 | 24 | 28 | 32 | 31 | 27 | 23 | 17 | 11 |
| 最低気温 (°C) | 1 | 2 | 6 | 11 | 16 | 21 | 25 | 25 | 21 | 15 | 9 | 3 |
| 降水量 (mm) | 51 | 57 | 99 | 89 | 102 | 170 | 156 | 158 | 137 | 63 | 46 | 37 |
| 年間を通じて湿度が高く、気温の極端な変化を厳しく感じる日がある |
上海の気候は亜熱低で多湿です。南北30度強のほぼ同緯度には、ニューオリンズ (英語版) 、カイロ (英語版) 、パース (英語版) などの都市があります。
春には曇りや雨天が長引くことがあります。
夏の気温は摂氏 35 度(華氏95度)を超え、湿度も非常に高い日々が続き、大量に汗をかきます。滞在中は着替えをたくさん用意するか、衣類のショッピング(Shopping)を計画に織り込んでください。夏は雷雨もわりあいに頻繁に発生し、7月から9月は台風シーズンではありますが、発生は頻繁ではありません。
秋は一般的に穏やかで、暖かく晴れた気候が続きます。
冬の間、日中の気温はめったに10℃(50℉)を超えず、夜間は0℃(32℉)以下の日もしばしばです。降雪は通常、数年に1回程度とまれでも、突然の暴風雪が発生した場合、交通網が混乱しがちです。冬の上海は特に低温ではありませんが、はるかに寒くて雪が頻繁に降る地域と比べても、風の冷たい風と高湿の組み合わせは快適ではないと感じることがあります。
あるいはまた、毛沢東時代に公式の規則があり、冬季の暖房は長江の北側は許可し南側では認めていませんでした。南岸に位置する上海では、多くの古い建物は暖房設備が付いていません。
観る
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上海で人気の観光地はおもに黄浦区(英語版)にあります。どこを訪れるか決め手は興味によって、また、どのくらい時間を使えるかによって幅があります。前記の地図でいうと、見どころがいちばん集中している場所は都心部(英語版Downtown)と浦東(Pudong)。中国語を読めるなら検索エンジンは百度(Baido)、またアプリは美団(口コミサイト「大衆点評」の親会社)が便利かもしれません。
- 老城厢という地区(Lao Chengxiang、別名は南市, Nanshi)(英語版)は集落がおよそ千年前にできました。観光客が多く、中心は豫園(Yùyuán)と呼ばれる庭園です。
- 国際居留地(旧租界)は1840年代から設置が始まり、老城厢の北と西にあたります。租界時代には欧米の出版物に「上海」と記してある場合、往々にしてこの居留地を指していました。
外灘(バンド) (外滩 Wàitān The Bund)。 川沿いの街路は19世紀の上海の繁華街であり、著名な観光名所。
人民広場 (Renmin Gongyuan 人民公園 People's Square)。 かつての競馬場はイギリス租界の端にありましたが、今は公園に再開発され、周辺は賑やかな都心です。現在、競馬場のかつてのクラブハウスは、博物館と高級レストランに転用。公園の端の地下鉄駅は、上海の交通システムの主要な乗り換え駅。近くに大型の高級モールやデパートがいくつかあります。地下鉄駅はとても混んでいるし、世界の地下鉄駅でも指折りの混雑ぶり。 1 、 2 、 8 号線。

静安寺(静安区) (写真: kallerna, CC BY-SA 4.0)
南京路はかつてイギリス租界の目抜通りで、今日では高級店が並ぶショッピング街であり、区割りを2つ貫いています。下を通る地下鉄 2 号線の駅が4つあります。東から順に、南京東路、人民広場(People's Square)、南京西路、静安寺(jing'an Temple)。
- 南京東路(Nanjing Road East)は黄浦区(Huangpu District)にあり、外灘と人民公園を結び、ほとんどの区間が歩行者専用。
- 南京西路(Nanjing Road West)は静安区(Jing'an District)へと伸び、途中、人民公園の北側に沿って進みます。公園のさらに奥にある見どころが静安寺(Jing'an Temple)という古めかしい古刹で、同名の地下鉄駅から近いです。
過去の幻影のように1920年台の姿を求めるなら、当時の西洋建築を残す外灘(Bund)と黄浦区に接する街路(Huangpu)がおすすめで、現在もショッピングが楽しめます。超高層ビルや壮大なモールなど現代建築の方が好みなら、浦東( Pudong)と静安(Jing'an)の記事をご参照ください。
かつてのフランス租界(French Concession)にも観光名所があります。租界があった往時からおしゃれな人々が集まり—また中国の著名人の住まいもありました。芸能やエンタメも、この地区で脈々と続いていて、見どころをいくつか挙げてみます。

豫園の茶店 (写真: Paul Louis, CC BY-SA 3.0)
- 老城廂(老城厢 Lao Chengxiang、別名は南市, Nanshi)という地区(英語版)は集落がおよそ千年前にできました。観光客が多く、中心は豫園(Yùyuán)
- 国際居留地(旧租界)は1840年代から設置が始まり、老城厢の北と西にあたります。租界時代には欧米の出版物に「上海」と記してある場合、往々にしてここを指していました。
外灘(バンド) (外滩 Wàitān The Bund)。 川沿いの街路は19世紀の上海の繁華街であり、観光客が必ず訪れる名所。
人民広場 (Renmin Gongyuan 人民公園 People's Square)。 かつての競馬場はイギリス租界の端にありましたが、今は公園に再開発され、訪れる人も多く賑やかです。現在、競馬場のかつてのクラブハウスは転用され、博物館と高級レストランになりました。公園の端の地下鉄駅は、上海の交通システムの主要な乗り換え駅で近くに大型の高級モールやデパートがいくつかあります。その地下鉄駅は、世界の地下鉄駅でも指折りの混雑ぶり。 1 、 2 、 8 号線。
石庫門の路地に沿った建築 (写真: https://www.flickr.com/photos/verkhovensky/, CC BY 2.0)
- 徐家匯(徐家汇 Xujiahui)は徐匯区の中心で幹線道路がとおり高級住宅やオフィスビルのアクセスがよく、また巨大なショッピングモールや多くの電器店が並び、地下鉄乗り換え駅( 1 、 9 、 11 号線)もあります。
- 上海っ子が認める高級ショッピング街なら、南京路よりも淮海路(Huaihai Road)です。
- 衡山路は淮海路(Hengshan Road)から徐家匯まで続き、上海最大のレストランやバーが揃います。
- 新天地(Xintiandi)は古い住宅街に残る「石庫門」という上海独得の建築をリノベーションしてあり、観光客も多くショッピングモールやおしゃれなバー、レストランが立ち並びます。
- 石庫門住宅といえば田子坊Tianzifangも、もう一つの再開発地区です。新天地よりも新しく芸術品や工芸品、ブティックのショッピングに注力していて、新天地と異なりブランド品やエンタメに重点を置いています。上海でブティックや小さなギャラリー、工芸品店をめぐって買い物をしたり、興味深いレストランをめざすなら、最高のエリアはフランス租界(英語版)です。
博物館、記念館

上海博物館 (写真: G41rn8, CC BY-SA 4.0)
宗教施設

孔子廟 (写真: Jakub Hałun, CC BY-SA 4.0)
水の都

青浦区の朱家角(ズージャージャオ) (写真: Anna Frodesiak, Public domain)
食べる
泊まる
安全を確保する
より詳しい実用的な安全情報(パスポートの紛失、病院での支払い、領事館の連絡先など市内共通の事項)は、中国安全ガイド を参照。
繋がる
領事館と医療
上海には多くの国の総領事館があります(長寧・静安・徐匯区に集中)。パスポート紛失やビザの問題は自国領事館へ、重大な領事事務は北京の大使館が対応します。英語対応の非緊急医療は United Family Healthcare や主要病院の国際部で受けられます。薬局・病院ではパスポート番号での登録が必要です。
出かける
上海から時速300 km超の高速列車「CRH」で移動すると、近郊に他の主要都市が複数あります。切符はオンラインで購入します。
- 杭州市(Hangzhou)—中国国内でも有数の観光地。有名な西湖、高級絹製品の市場、仏教寺院などを訪れるなら、人気の時期は春と秋。高速鉄道のホーム出口に案内所があり、便利な地図付きの冊子をもらいましょう。高速鉄道で45分。
中国のことわざ
《天に天国あり、地に蘇州と杭州あり》
《The sky has heaven; the Earth has Suzhou and Hangzhou.》
- 南京市(Nanjing)— 南京は中国の歴史を学ぶのに最適な場所。複数の王朝時代を経て、20世紀初頭には国民党政府の首都でした。城壁から総統府まで歩きやすくフレンドリーな街で、ホテルはあらゆる予算に合うよう揃います。中国史における著名人3人の墓もあります。高速鉄道でおよそ1時間半。
- 蘇州市(Suzhou)— 東洋のベニスと称される運河が発達した旧市街、世界遺産の蘇州古典園林などがあります。
- 無錫市(Wuxi)— 蘇州と南京のほぼ中間に位置し、大運河(Grand Canal)、太湖(Lake Tai)、霊山大仏、おいしい地方料理で知られます。
- 寧波市(Ningbo)— 上海から全長36 kmの杭州湾大橋を渡り、2時間半から3時間の距離にあります。移動には、杭州経由の鉄道の方が速いです。
上海市民が息抜きに訪れて田園暮らしを味わう場所がいくつかあり、前泊地が人口密度の低い国だったら、とても田舎とは思えない規模かもしれません。いずれも前述の大都市に近いです。
- 普陀山(Mount Putuo)— この重要な仏教寺院は寧波近郊、風光明媚な島にあります。中国の「仏教四大名山」の一つ。
上海周辺のその他の都市や観光スポットは、中国東部(East China)をご覧ください。
このページの出典
このページはウィキボヤージュから取り込まれました。 「上海」(ウィキボヤージュ、執筆者)、CC BY-SA 4.0 に基づく。ここでの変更:ページとして組版し、編集リンク・地図・掲載情報のメタデータを除去。各写真はそれぞれのライセンスに従い、キャプションに表示。
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